深淵を覗くとき
YouTubeにupされているMVのコメント欄には自己顕示欲だけが卑しく肥大化してしまったアレな人が多く生息しているという話。
こちらはPerfume「Dream Fighter」のMVである。皆様方におかれましては是非にコメント欄を一瞥していただきたい。
直視すると高確率で気分が悪くなるのであくまで一瞥。
バジリスクの瞳みたいな取り扱いがベスト。
溺れそうなぐらいに自分語り・自分語り・自分語りの大洪水。
僕が・私が小学生の時にぃ〜ww高校の時にぃ〜ww今中学生なのですが〜ww
やかましいわ。知るかボケナスが。去ね。
なんで急にMVのコメント欄で歌の感想でもない身の上話始めとるんじゃ、キメとるんか??なに?
完全にコメント欄に溢れ出る自己愛に僕の関心が追いつかずに周回遅れ食らってて不思議な気分になる。怖い。
第一にYouTubeのコメント欄で自分語りしようという精神性が理解できない。
コメントを見る人は当然見知った人ではないわけで、何処の馬の骨とも知らんやつがそんなどっかで聞いた出涸らしのような辛かった話しても関心持てるわけがないと思うんですけれどもね。(オードリー若林)
100歩譲って学生ならまだわからなくはない。やたらめったらに他人と感覚を共有したがる年頃だしne…
しかし今年50歳のおっさん(原文ママ)に関してはマジでコメント書いてる時間で通院したほうがいいと思う。頭のヤツ。
父親より上の年代の人間がYouTubeでperfumeの曲聞いて立ち直ったとかいう金箔より薄い内容の自分語り書いてるって事実に若干恐怖すら覚えるわ。
そして1つだけ主張したいのは、ちょっと音楽聴く程度で解消される辛いことなんてのは間違いなく大して辛いことじゃないってこと。
外に出てください。深呼吸してください。何か楽しみを見つけてください。休んでください。その程度のつらいことに苦しまないでください。
そして辛いことが解消したからといって嬉々としてコメント欄に書き込むような大人にならないでください。そこにいる50歳のオッサン(原文ママ)は未来の君達です。
さよならプリングルズ
プリングルズというスナック菓子をご存知だろうか?
髭面の豪快なマスコットを携え、汽笛の轟音を背に黒船に乗ってやってきた、アメリカ発のポテトチップスである。
スナック菓子ですら一枚ずつ箸でつまんで食べるような、繊細で瀟洒な日本人に対して、そんな既成概念、固定観念をぶち壊すべく、数枚を一度に手掴みで食べるという、”あちら流”のあまりにもストロングスタイルな食べ方を提示したという意味で多大な功績を持つロングセラー商品。プリングルズ。
コカコーラ片手に、馬鹿みたいに崩れやすいサワークリーム&オニオンを3枚ぐらい一度にとってバリボリ食べこぼしてる時が人生において至福の時であることは疑いようがなかったし、プリングルズが大好きだった。多分、プリングルズも僕のことが好きだったのだと思う。かたや消費者として、かたや商品として、お互いにお互いを求めあっていた。若かりし頃の僕とプリングルズはいわゆる共依存的な関係にあったのだ。
年をとるということは、恐らく、次第に何かを失うことなのだと思う。若さを失い、活力を失い、そして、関係性を失う。
貴方にも歳をとるにつれて疎遠になった旧友はいないだろうか?
つまりはそういうことである。
そういった、「失い」の過程の中で、プリングルズと僕の関係性もまた、希薄なものになっていた。
彼はあまりにも高価すぎたのだ。
定価で買うとなると他のポテトチップスの相場の2倍近い値段であったし、自分でお菓子を買うようになった頃からは、高いプリングルスを避けて、失った彼の幻影を求めるように、カルビー、コイケヤといった「日本の」ポテトチップスに魅せられるようになった。サワークリーム&オニオンを数枚掴んで狂ったように摂取していた口腔は、いつの間にやら、うすしおを1枚ずつ摂取する軟弱なものへと変わり果てていた。
時が幾分か流れた。常に金欠に喘いでいた僕も、いつしか好きなお菓子を買うには困らないぐらいのお金を持つようになっていた。
機は、熟した。
まずはスーパーに入り、遠い過去に置き去りにした髭面の幻影を注意深く探した。
すると、何も変わらぬ姿がそこにはあった。
強いて言えば、増税の影響か少し背が低くなっただろうか?しかし、鮮やかな緑色のパッケージも、菓子のイメージキャラクターに見合わぬ立派なヒゲもあの時のままだった。
思わず、「おぉ」と小さく声を洩らした。230円、けっして安くはない。
しかし、パッケージを手に取った時の感動と比較衡量すれば、さしての痛手にも感じなかった。
違和感を感じたのは1枚目を口に入れてすぐのことだった。
なんというか、粉っぽくて安っぽい。
端的にいうとチップスターみたいな味がする?
脆く崩れやすいところだけは変わらない。しかし、食感が、味が、明らかに違っていることを舌が告げていた。これは僕の知っているプリングルズではないとわかる。例えるならばチップスターみたいな味がする。
決して、彼のポテンシャルに対して過度の期待を抱いていたわけではない。
しかし、チップスターみたいな味がする!
最初に心に浮かんだのは、チップスターの倍以上の値段を払って実質チップスターを掴んだという憤慨だった。
複雑な感情がいくつも入り混じり、去来する。
ぐるぐる混ざった感情の最後に訪れたのは、ある種の諦念だった。
僕が年をとったのと同様に、彼も年をとったのだ。僕の食の好みも変わったし、彼も恐らくニーズに合わせて変わったのだろう。彼は、強烈なアイデンティティを喪失し、日の国で好まれる味のステレオタイプにアジャストしたのだ。それがマーケティング戦略なのだろう。仕方のないことだ。年をとって、丸くなった。
イメージキャラクターも、心なしかくたびれて見える。「お疲れ様」と告げた。これまでの功績を労うために、そして、別れを告げるために。
僕が自分の意思でプリングルズを買うことは、多分、もうないだろう。チップスターで事足りると気づいた今、値の張る彼に依存する理由もない。僕が支えなくとも、新しい彼の味を愛する消費者が彼を支えてくれるだろう。溺れるような共依存関係もこれでおしまいだ。
やはり、年をとるとは失うことなのだと思う。人間は、あれもこれも取り扱うほどに器用じゃないから、何かを失わなければ前へと進めない。
過去の喪失を笑って話せる大人にはなりたくない。プリングルズとの思い出も、どこか心の引き出しの隅っこにこっそりとしまっておこうと思う。そして、昔の彼の味を時々思い出して、淡い感傷に浸りたい。
最後に一つ伝えたいことがある。
プリングルズは値段の割にアレなので、プリングルズ買うぐらいならチップスター買ったほうがお得っすよ。
完全にこれチップスターでええやん。